「あぁ〜、お前のせいでこんな時間になっちまった」
「・・・・・・俺のせいじゃないだろ?」
「くっそぉ〜、採点今日中に片付けるつもりだったのに」
窓の外はもう真っ暗だった。
身繕いをする俺の横で、誠一郎がバサバサとテスト用紙を振る。
ふと時計を見るとすでに8時近かった。
「あんたが何度も何度もやるからだろっ!!でっ」
あんたと云った俺の口の端を誠一郎はぎゅっとつねった。
「っとに物覚えが悪いな・・・・・・目上の者に向かって「あんた」って云うなって何度も教えただろうがっ」
「あ・・・・・・ごめんなさい」
素直に謝れば誠一郎はそれを受け入れてくれる。
あの頃の俺は、そんな誠一郎から目をそらしていた。
お互い欲求のはけ口のような付き合いをしている、それがいいんだって自分に云い聞かせていた―――期待なんて裏切られるだけだから、と。
「っとに・・・・・・お前は人を信じすぎるくせに、信じることに臆病な大馬鹿者だ。だから、俺が側に居てビシバシ鍛えてやるからな、覚悟しておけよ」
「え・・・・・・」
いつの間にか隣に立っていた誠一郎が俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「だから、お前は安心して俺の側に居ろっ」
それだけ言い切ると、未だ制服をきっちりと着終えてない俺をおいて部屋を出て行こうとする。
「ちょっ」
こんな薄暗い部屋に一人置いて行かれるのはごめんだった。俺は足元にあった鞄を引っつかむと、ネクタイも中途半端なまま誠一郎を追いかけた―――そう、きっと照れているであろうその顔を想像しながら。
「飯島君、この資料運ぶの手伝ってもらっていいかな?」
綾瀬が最近生徒に頼み事をする時、大半が入り口近くに席のある俺に声を掛けてくる。
「譲ぅ〜災難だなぁ」
なんて声を掛けてくる級友はいても、それを変わってくれようとしるような奴はいない。
俺はと云えば、部活にも所属していないし、寮に帰るだけしかない放課後に、副とは云え担任のお願いを断る術もなく・・・・・・
「何時もすまないね・・・・・・」
本当に申し訳無さそうに云う綾瀬に、俺はと云えばしかめっ面で一言「いいですよ」くらいしか返す言葉はない。
それこそ、それ以上口を開けば、そのまま教室中を腹を抱えて笑い転げてしまうのは抑えられないからだ。
こんなにTPOを使い分ける奴も珍しいと思う。いや、俺が知らないだけで、実はあいつも、こいつも・・・・・・なんて考えている俺は、最近めっきり授業に身が入らないのだ。
ただ、今思うこと―――それは綾瀬が地味だ、なんて馬鹿な思い込みをしてたなぁ〜と。
前髪と眼鏡で隠しているその眼光は、まさしく俺の知っている誠一郎のものだ。それに気付かなかった俺って本当に抜けてるんだと思う。
「だっ」
そんな考え事をしていた俺は、目の前を歩く綾瀬の足が止まったことにも気付かずその背中にぶつかってしまう。
「飯島君大丈夫ですか?」
もうちょっとで運んでいた資料を廊下にぶちまけてしまいそうだった俺を振り返りながら、綾瀬は生物準備室の扉を開ける。
「すみません、ちょっとぼっとしちゃって・・・・・・」
「僕は大丈夫だから。じゃぁ、それはあっちの机までお願いします」
にっこり微笑みながらそう指示を出すのは、優しいくて生徒思いと評判の、綾瀬先生の評価そのものだ。
俺は先に扉をくぐり、綾瀬の指さす方へと資料を運ぶ。
そんな俺の後ろでバタンと扉の閉まる音が響いた。
「っとにお前は歩く時くらいちゃんと目開けとけっ」
扉が閉じた瞬間がらっと言葉遣いが変わる。何時ものことだけど、やっぱり俺は変な感じがするのを否めない。
本当に、よくいきなりここまで変われるものだと尊敬の念すら覚えてしまうのだ。
「誠一郎さんが急に止まるから・・・・・・でっ」
口答えする俺の頭を叩くのはもう毎度のことで。
それこそ俺も学習能力ないなぁ、なんて反省したりもするんだけど、考えるよりも前に動いてしまう口はもう本当にどうにもならないのだ。
「っとに、まぁいい。ほら、こっち来い」
口を尖らしている俺を呆れたような顔で眺めた後、仕方ないとばかりに髪をかきあげ俺を呼ぶ。
だっと走り寄る俺を抱き締めるその腕はたくましく、俺に向けられるその顔は慈しみに満ちている。
「誠一郎さん・・・・・・」
名前を呼ぶ俺の唇からはその先の言葉は出てこない。塞がれたそこから漏れるのは二人の荒い息遣いだけだ。
「ジョウ・・・・・・」
名残惜しそうに離れて行く誠一郎が俺の名を呼ぶ。それが合図―――俺達の課外授業が始まる。
END