先生のお気に入り
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― 修学旅行編1 ―
海を眼下に見ながら飛行機は釧路空港へと向かう。窓からのぞく風景は、海と雪と氷―――東京では見ることのできないものだった。
一度陸地へと向かい、飛行機は旋回して釧路空港へと降り立つ―――海城学園中等部3年冬の修学旅行はここから始まった。 飛行機が着陸すると、乗客がスチュワーデスの制止を振切って荷物を棚から下ろし出口へと向かう。そんな中、数十人の学生たちは至って大人しく頭上にあるシートベルトのサインが消えるのを待っていた。 「ねぇねぇ、あの人たちあんなに急いでどうするんだろぉ?」 どうせ飛行機止まるまで降りられないのにねぇ〜と、にこにこ天使の笑みを浮かべながら月ヶ瀬聖が云う。 聖はこの修学旅行をかなり前から楽しみにしていたらしく、羽田から釧路空港までの一時間半も持込んだガイドブックをじっとめくりながらすごしていた。 隣に座る北条征城は聖に肩をたたかれ、耳からMDのイヤフォンを取りながら、自分たちの横を荷物を抱えながら並んでいる大人たちを見た。 「サラリーマンは時間が命なんだろ……」 「でもさぁ〜」 そんな大人たちは、制服に身を包んだ修学旅行生徒見られる団体の中に、なぜ一人だけしか女生徒が居ないのかと不振な目を向け、その後、その女生徒の服装が他の生徒と変わらないものであることを認めると、今度は好奇の目を向けていた。 そんな大人たちの視線が聖に向いていることに気づくと、征城は溜息をつきながら聖に云う。 「お前さ、せめて髪切れば?」 「なんでぇ〜」 「ただでさえ女顔なんだから……」 「髪が長かろうと女顔だろうと、この内から溢れ出る男らしさがあるからいいんだよぉ〜」 と、どうみても溢れ出す男らしさの微塵も感じさせないような口調で云う聖に、征城は再度溜息をついた―――修学旅行は今始まったばかりなのである。 私立海城学園の修学旅行は6年間のうちに2回ある―――中等部3年の冬と、高等部2年から3年に上がる春休みの間である。その他にも校外学習と云うものもあるが、飛行機や新幹線を利用した所謂旅行を伴うものはこの2回だけであり、それだけに先生達の気疲れと生徒達の期待は大きいものであった。 この冬の海城学園中等部3年の修学旅行は北海道。しかも雪祭りにぶつかる札幌を避け、道東を巡る行程であった。 「で、これからまずは釧路湿原だろぉ」 飛行機とバス共に征城の隣の席を陣取り、聖は嬉しそうに『修学旅行のしおり』をめくる。 バスから窓の外を眺めると、思っていたほどは積もっていない雪が目に入る。征城は横に座る聖を無視して窓の外の景色に見入っていた。 北海道ってもっと雪が凄いのかと思ってた…… 思ったほど寒くもないし…… 空港からバスまでの短い距離しかその空気に触れていないとは云え、機中で聞いた『マイナス6度』と云う台詞から想像していたものとは遥かに差があるものであった。 そうこうするうちに釧路湿原展望台へとバスは到着し、「いってらっしゃ〜い」と云うバスガイドのにこやかな声と共に扉が開き生徒達がバスを降りる。征城もしぶしぶと聖の後に続いてバスを降りた。 征城はぼーっとしながら騒ぐ聖の後をついて歩き、たまに嬉々と説明を続ける聖の言葉に頷きながら展望台を歩いた。 だるぅ〜 出来ればバスでの移動ばっかだったらいいのに…… そっと聖の側から離れると、征城は一人バスへ戻ろうと出口へと向かった。 他の生徒はまだ上の階に居るらしく、一階の出口付近には他の生徒の姿は見受けられなかった。 時間まだあるか…… 時計を見つつそのまま外へ出ると、征城はバスへは向かわず展望台の裏側へと足を向けた。そんな征城に気づいた一人の人物が自分の後を付けてくる事には気づいていなかった。 雪をきゅっきゅと踏みしめて自分の後ろを歩く人物に気付くと、征城は足を止め、その人物が誰だかわかっているかのように嫌そうに振返る。 「どこ行くんだ?」 「どこだっていいだろ。まだ集合まで時間があるんだから……って、お前何ついてきてんだよ……」 「そりゃぁ、可愛い生徒が行動範囲外に出て行こうとしたら止めるのが教師の役目だろ?」 にやりと不敵に笑みを浮かべながら、宮瀬晃は征城に近づくとその肩に手を置いた。その手を征城は軽く払いのける。 「って、自分の担当クラスの面倒でも見てろよ」 「俺が征城のクラス担当になれなかったからってそんなに拗ねるな、新任教師にはそんな我侭はできないんだ」 俺はわかってるぞ〜とばかりに、払いのけられた手で征城の肩をぽんぽんと叩く。 「だぁ〜れが拗ねるんだっ!!」 「征城だろ?」 「馬鹿云ってんじゃねーっ!!」 今度は強く晃の手を跳ね除けると、征城は晃の横を抜けてもと来た道を引き返そうとする。しかし、そんな征城を素通しさせる訳もなく、晃は征城の腕を掴むとそのまま逆の手で腰を引き寄せた。 「つれないなぁ〜」 「つりたいなら阿寒湖行ってワカサギでも釣ってろっ」 自分でもくだらない事を云っていると思いつつも、晃に対する憎まれ口はとめることが出来ない。 「手、離せよ」 「嫌だって云ったら?」 「……寒いんだよ」 掴まれた手が外の空気に晒されてどんどん冷たくなってくる。しかし、晃はその手を離すことなく、逆にぐっと征城を引き寄せた。 「ちょっと、こんなとこで止めろよ……」 「こんなとこって?」 「誰が来るかわかんねーだろっ」 近寄ってくる晃の顔を避けようとするが、腕と腰を掴まれていては逃げることもままならず、仕方ないと諦めたように目を伏せて晃の口付けを待った。 そんな征城の仕草に晃はにやりと笑うと一瞬征城の腰に置いた手に力を込めた後、今度はそっとその手を離した。 「ばぁーか、こんなとこで誘うなよ」 晃は目を伏せたままの征城の鼻を離した手でぎゅっと摘むと、掴んでいた腕も離してそのまま一人集合場所へと戻って行く。 一人残された征城はしばらくぼーっと去り行く晃の背中を見つめていた。 「な、なんなんだよ……」 いつもの晃なら絶対にキスをしていたと思いながらも、目を伏せた自分が晃を誘ったと云われたことに気がつくと征城は真っ赤に顔を染める。 ―――俺が誘ったことになるのか…… 嘘だろぉ〜 嵌められたぁ〜 悔し涙を目尻に浮かべながら、征城は足元の雪を掴むと晃の後姿へと投げつける。しかし力を込めた瞬間体に痛みが走り、雪の塊は晃まで届かずにぼてっと雪の中へと沈んで行った。 くっそぉ〜 晃のせいだっ 再度雪の塊を掴むが、すでに晃の姿が見えないことに気付くと征城はがくっと肩を落とし、仕方なさげに集合場所へ向かってとぼとぼと歩き出した。 |