先生のお気に入り


−8−






 ぎゅっと後ろから抱きしめてくる晃をどうにもできないことを悟ると、征城はふっと体の力を抜いた。
 それに気付いた晃の征城を抱きしめる力も緩む。
「もう涙止まったし・・・逃げないから離せよ・・・」
 制服の袖で目元を擦りながら征城が云う。
 晃みたいな相手に何を云っても無駄なのだろうと、そう思う。
 とりあえず力では敵わないようなので、征城は無理やり引き剥がすよりも離れてもらうほうを選んだのだ。
「よしよし」
 何故か嬉しそうに征城の頭を撫でながら晃は征城を抱きしめていた腕を離した。しかし、今度は征城の右腕を掴んで離そうとはしなかった。
「一応保険」
 にやりと笑うその顔は、先ほどまで島田達に向けていた不機嫌そうなものではなかった。
 やっぱりこいつ格好いいやぁ〜
 晃の顔が自分に近づくと、自分の心臓のどきどきが止まらなくなる。
 征城は、晃の視線からふっと自分の視線を反らしながら心臓が落ち着く
のを待った。
「手、離せよ・・・」
「逃げないならな」
「逃げないから・・・」
 さすがにぐいっと握られた腕が痛んでくると、征城はただただ離して欲しいと心底思った。例え逃げようと思っても、こいつからは逃げられないと、本能がそう云っていた。
 島田や、それまで接してきた上級生達とはどこか違う・・・恐怖を覚えるわけではないが、何故か勝てる気がしない・・・そんな感じであった。
 さすがに征城が大人しくなると晃も掴んでいた腕を離す。
「まぁ、苛めるつもりじゃないからな・・・」
 やっと自由になった腕を摩りながら征城は再度晃を見る。機嫌のよさそうな顔は先ほどとは違い、怖いどころかちょっと愛嬌があるくらいに感じられる。
 ただ機嫌が悪かろうが良かろうが、どちらにしても整った顔であることは間違いなかった―――それも自分達や聖のように可愛いとか綺麗とか、そう云う修飾が似合うのではなく、男らしく格好いい、その一言に尽きた。
 俺はまだ子供だから・・・
 同じ年だったら俺だって・・・
「なぁ〜に見惚れてるんだ?」
 じっと自分を見つめている征城をからかうように晃が云う。
 そんな態度も格好いいなぁ〜、などと思ってしまう自分の考えを否定するように征城は頭を振る。
 違うっ!!
 格好いいとかじゃなくてっ!
 俺のなりたい理想って云うか・・・
 なんて云うか・・・
「だーっ!!って云うかお前何者なんだよっ」
 再度自分の考えを否定するように思いっきり頭を振ると、征城は晃に掴みかかるように云う。
「だから、宮瀬晃」
「名前聞いてんじゃねーっ!!って何回云わせるんだよ」
 そんな征城の叫びに、晃は一瞬考えた後云った。
「名前は宮瀬晃。2年前にここの学園を卒業して、現在大学3年生で専攻は応用物理学・・・内容は聞かないでくれよ、俺もよく分かってないからな。で、来年教育実習に来るためにとりあえず挨拶に来たら、なんと可愛い〜ぃ恋人までゲットできちゃったラッキーボーイ21歳独身・・・ってとこ?」
「だぁ〜れが可愛い恋人だっ!!」
「なぁ〜んだ、自分の事だって分かってんじゃないか」
 そんな征城の叫びに晃はくすっと笑いながら答える。
 征城は一瞬かっと顔を赤らめると晃に向かって蹴りを入れる。そんな征城の蹴りをさくっと避ける晃の鳩尾に今度は拳を突き立てる。
 さすがに2連発で来ることは予想できなかったのか、晃はその征城の拳を避けることが出来なかった。
 どすっと云う音と共に激痛が晃を襲う。
 がくっと晃の体が崩れ落ちるのを征城は冷ややかに見ていた。
「・・・・・・」
 さすがに声も出せずに腹を抱えて蹲る晃を、今までのお返しとばかりに見下ろすと征城はふふんと笑った。
「変なこと云うからだよ・・・変態親父」
 そのまま逃げ出そうかとも思ったが、あまりにも綺麗に決まった自分のパンチとなかなか立ち上がらない晃に一抹の不安を覚える。
 ちょっと切れたからやっちゃったけど・・・大丈夫だよな。
 ここの学園の奴じゃないし・・・
 悪いのこいつだし・・・
 仕送りストップとかには・・・ならないよな・・・
「ちょっと・・・」
「・・・・・・」
 征城の問いかけにも晃はお腹を押さえて蹲ったまま声を発しようとはしなかった。
 さすがに心配になって征城は晃の背中を擦りながら顔を覗き込む。
「だい・・・じょうぶ・・・?」
「・・・に見えるのか・・・?」
「・・・見えない・・・」
 さすがに蹲る晃を見て大丈夫とは思えなかった。しかも、直接の原因は征城自身なのである。やばいかなぁ〜と心底心配になってしまう―――晃の心配と云うよりは、自分の仕送りの心配のほうが七割ほど占めていたのではあるが・・・。
「なら責任取ってもらおうか」
「え・・・?」
 覗き込んだ晃の目が細められ、それが笑ったためだと気付いた時にはもう遅かった。
 どんな動きがあったのかもよく分からなかった―――ただ、いきなり腕を引かれ地面に体が落ちると思った瞬間、背中に痛みを感じていた。
 前のめりになった途端逆方向に体ごと持っていかれ、征城は自分の背中に走る痛みで地面ではなく校舎に背中が打ちつけられた事が分かった。
「・・・っ!!」
 征城は背中の痛みにくらくらする頭と、衝撃で咳き込みそうになる体をなんとかしようとするが、校舎と晃の体に挟まれて身動きが取れなかった。
「悪さをするお子様にはお仕置きが必要だな・・・」
 耳元で発せられる晃の言葉に征城はびくっと身を竦ませるながら、痛みのあまり声も発することが出来ない。せめともはと晃を睨みつけるのが精一杯であった。
 しかし、そんな征城の目尻に滲む涙をそっと撫でる晃の仕草は、口調とは裏腹に優しささえ感じられた。
 しかし、身動きの取れない征城にとっては、そんな仕草もある意味恐怖の対象でしかなかった。






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